40代からのMAMAケア

私のダブルケア体験(2017年12月号掲載)

私の義母と子育てのダブルケア体験についてお話しします。
結婚した当初は、夫の実家から5分くらいのところに住んでいました。第一子が生まれたのを期に、夫の父母との同居が始まりました。同居といっても、母屋と渡り廊下がつながった二世帯住宅です。はじめは、週一度、一緒にご飯を食べる程度でした。もともと、義母は、気が強くて元気な人で、口が悪く、私が作ったご飯が気に入らなかったら食べなかったりしていました。息子が10歳の時に、義父が亡くなり、次の日から、義母の痴呆が始まりました。義母は、体は元気で、歩けるし、食べられるのですが、どんどん痴呆は進んでいきました。昼と夜が逆転し、毎日夜中に、お腹がすいたといって廊下を渡ってきます。私は、夜中に毎日同じ話を聞き、ご飯を作っては食べさせたりしていました。昼間は、受験生の息子が話の聞き役でした。その頃は、義母は、息子のことも私のことも孫のこともわからなくなっていました。お風呂にも1ヶ月入らない日が続いたので、日中は、デイサービスに通うようになりました。私も仕事を始めていたので、仕事と子育てと介護をする日々が続きました。 夫は何も手伝うこともなく、私だけの負担が増えていきました。私の身体も、ぼろぼろでうつ状態になり、耳が聞こえなくなり、肺炎にもなりました。でもそんなときも義母から罵声を浴びせられていました。そんな中でも夫は家事や子育てにほとんど協力することはありませんでした。

そのとき娘が私を心配し、「ママ、それでいいの?離婚して家に帰って。」と泣いて離婚をせがんできました。娘の言葉をきっかけに、私は、コーチングや心理学、脳科学の勉強を始めるようになりました。
ある日、雪が多い夜中に、義母の寝ている寝室に、雪がなだれ込む事件がありました。義母は怯え、ショックを受け、がたがたと震えていました。その日から、義母が豹変し、覚醒が始まりました。 義母の記憶が20代の結婚した当初にもどったのです。昼間は普通なのですが、事件があった時間になると豹変し、目が変わり、夫が自分の夫となり、私は夫の愛人扱いをされ、私を追いかけてくるようになりました。胸ぐらをつかまえられたこともありました。その時間になると私は、ベッドの中に隠れ、その時間が過ぎるのを待つようになりました。夫は、飲み歩く日々が増え、家にはいませんでした。 もう本当に限界でした。私は、子どもを連れて実家に帰ることを夫に告げました。 それから夫は、義母を入れる施設を探し始めました。一箇所だけ、とてもよい雰囲気の施設があり、そこに話をしにいきました。 もう施設の空きはなかったのですが、私は短期でもいいので、その時間だけ預かってもらえれば、私はまだ頑張ることができるということを施設長さんに伝えました。 そのとき、施設長さんから、「もう頑張るのはやめなさい。頑張らなくてもいいですよ。あとはプロに任せなさい。」と言ってくれました。私は涙が止まりませんでした。

施設長さんの配慮もあり、それからすぐ、義母はそこの施設に入ることができました。義母が入居してから、6年ぶりに椅子に座ってゆっくりご飯を食べることができました。 私は、娘の「ママ、それでいいの?」という言葉があったおかげで、いろいろなことを学び、今の自分がいます。あのときの娘の言葉がなかったら、私は、義母をどうにかしていたかもしれません。 コーチングや心理学を学ぶことで、私は自分の心や子ども達の心をケアすることができ、私の仕事にもなっています。今では、義母に感謝をしています。 最後に、介護は、相手じゃなく自分、子どもじゃなく自分、常に自分の心を整えることが大切です。自分の心のゆとりを保つことで、人にやさしく接することができ、介護や子育てを乗り切ることができると思います。

 

  

一般社団法人マインドデザイン協会
菅野 ゆかりさん

1959.11.12生まれ。
35歳で第一子、38歳で第二子を出産。
会社経営の夫の手伝いから50歳で起業し、数々の勉強からオリジ
ナルのコンテンツを作り54歳で法人化。研修は全国へ

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